私の布団で一緒に寝るミミとチャイですが、私が起きるとミミだけは電気座布団のあるホットスポットへ。
日の出が少しずつ遅くなり、それに合わせてウォーキングへの時間もで、今朝は風もないのに寒さを感じました。


友人の一人が永眠して一週間余り。
広い会場を埋め尽くすほどの、彼女のお人柄と活動や交友の広さが偲ばれるお通夜でした。

約一年間通った着付教室が毎年開催する忘年会で、「あなたの好きそうなアーティストよ」と紹介されたのが出会いの、墨と柿渋、泥を画材におおらかな抽象画を描くチャーミングな方で、すっかりファンになり、ご主人との二人展やグループ展に通ったものです。
オープンハウスのしつらえで、作品をお借りしたことも有り、作品をまだ販売されてない頃に初期の作品の墨絵をいただいて、飛び上がるほど嬉しかったものです。
水上ビルにオープンしたカフェ『BULL』を教えていただいたとき、私の口に合う美味しい珈琲はバッハドリッパーだと気付いて、閉店されるまで通い、その後は『自家焙煎珈琲マインブロス』さんを教えてもらいました。

また、2階のリビングをダイニングキッチンにしたいとの依頼でプランニングし、造り付けの家具と工事管理はアトリエ創作室の中西康之さんに委託。リフォーム後には、手料理の食事会に招待していただきました。
お料理がお好きなだけでなく、薬膳料理の教室に通われたりの食に関しての学びが多く、お二人とも「食養リーダー」の資格者でもありました。

退職後に企画した我が家でのランチ会やお出かけ事、数年前と今年5月の「写真講座」にも参加していただき、また、ご夫婦で毎年行かれる外国旅行でのお土産をいただいたり、体に良いものなどを教えていただいたりの、していただくことも多かった友人でした。

仲の良いご夫婦で、お二人ともアーティストでありながらミュージシャンでもあり、気の合ったお仲間たちとのライブに行ったこともあります。
ご主人さんがメンバーでもある夏恒例のSuper Live へは、数年前まで楽しませてもらいましたが、ご友人たちのテーブル確保に目を配らせていたKeiko さん。
ご夫婦でのボランティア活動や健康に関する学びや書道など、本来のお仕事の他にも活動範囲が広く、人生を愉しみながらも多忙を極めていたのかもしれません。

10月初めにご主人さんから「夏場から体調を崩している」と聞いた時、7月半ばにお会いしたのが最後で、8月には受付に立っていなかったのを思い出しました。
「これから名古屋へ行くので駅まで送っていく」とも仰ってたので、さほど深刻に受け止めてなかったその一か月後の訃報でした。

お通夜や告別式での、喪主であるご主人さんのお話は、病のことはおっしゃらずに、最後の中国旅行でのことや書道に開眼されたことなどのエピソードに触れられ、仲睦まじく暮らしてこられたパートナーに先立たれた哀しみを、遺志を継ぐことでパートナーとの心の共有をされて行かれるのだろうと思いました。

 

着付教室を通しての共通の友人知人が多く、告別式で何年かぶりに会った友人から、スキルス性の胃がんだったと聞きました。
胃の壁の奥で広がるように出来るタイプで見つけるのが難しく、分かったときのほとんどがステージⅣなんだそうです。
「病気を受け止め、絵を描いたりしながら前向きに過ごされていたけど、食べることが出来ないので体力筋力が衰えて・・・」と、お近くで見守ってられた方からも聞き、ご自分のことよりも周りを思う友人でしたから、心静かに過ごされたのだと思いました。

「ねぇねぇ Hさ-ん」と、やわらかい口調で話しかけられると、ついこちらもゆるんで笑顔になってしまう笑顔力を持っているKeiko さんは、チャーミングなだけでなく、毅然とした考えも持ち合わせていて、頼られることも多かったと思います。
病名のことを知ってる方も少なからずいたかと思いますが、ご家族の食への取り組みを思うと衝撃だったのは私だけではなかったでしょうか。
しばらく何も手につかず、You Yube で関連の動画を見て過ごす日が続きました。

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