愛しの マイシャへ (2007.09.25)
マイシャの病気は突然のことだったけど、でも、あの時のマイシャに必要だったのは、
治療じゃなくて、愛情だったのではと、今でも思えてならない。
肝リピドーシス・・・さまざまな原因により脂質代謝が障害され、肝臓に過剰な脂肪が蓄積する病気である。
肝臓は腫大し、黄褐色となり辺縁が丸くなる。肥満した猫に多く見られる傾向があり、太っていた猫が急に食欲を無くし、
1週間以上も満足に食事を取らないような場合は要注意。
1週間以上も満足に食事を取っていない・・・他の猫たちと違って、マイシャは食べることに執着しない子だから、そんなことにも気が付いていなかった。
その週のことを思い出してみる。
バルコニーに出たこと、毎朝、出勤の支度のときに甘えて鳴くのも、土曜日の朝まで同じだったよね。
静かで、おっとりした動作だから、元気がなくなっても気が付かなかった私。
猫たちが吐くのに慣れきっていたから、仕事から帰って、吐き戻したものが部屋にあるのに、驚くこともなく片付けていたけど、
「あれ?」と思ったのが、土曜日のお昼頃のトイレでのこと。
何気なく、マイシャをひっくり返してお腹をみたら、地肌がピンクではなく、薄茶色だった。
それなのに、黄疸という文字は、浮かんでこなかった。
泡状の液体を何度も吐いた時になって、これはおかしいと、やっと気がついたんだよね。
その時点で、すぐにもお医者さんに連れて行かなきゃいけなかったのに、お母さんの五十肩の痛みがひどくて、
重たいマイシャを、一人で連れて行く気力がなく、順平に頼んで、日曜日になってしまった。
「頑張ってね」と言ったって、どんどん悪くなっていったんだよね。
脱水症状は、点滴で何とかなった。
そして、高カロリーの栄養が摂れさえすれば助かる・・・はずだった。
でも、人見知りの激しいマイシャが、病院で心を閉ざすのは、前の手術で分っていたのに
お医者さんでないと対処できないのだと思い、病院に預けた。
当然食べれない、あるいは食べたがらないから、あっという間に衰弱した。
しかも、「家で看取ります」と言っておきながら、尚、諦めきれないで、さらに、もうひとつの病院へと
藁をもすがる気持で委ね、翌朝一番に行った時は、もう冷たくなっていたマイシャ。
甘えん坊で寂しがり屋のマイシャを、たった一人で、病院で死なせてしまった・・・
前夜の、T病院の診察台の上で、瀕死のマイシャが鳴いたのは、
「もう治療はやめて・・・家に帰りたいよぉ」と言う悲鳴だったのではないかと思うと、自責の念で今でも悔やまれる。
もし、少しだけ時間が戻せるのなら、異変に気が付いた、一週間前の土曜の夜に戻りたい。
脱水症状を回避するために、点滴をお願いしながら、高カロリーの流動食は、私の手で食べさせる。
吐き出すかもしれないけど、体をさすりながら、ずーっと寄り添って、看病したい。
もし時間が戻せるのなら、もし時間が戻せるのなら・・・と。
たった一人で、苦しんで逝かせてしまったマイシャの横顔は、とっても寂しそう。
家へ連れ帰ってから、翌日送るまで、硬直していくマイシャをさすりながら、ひたすら詫びた。
写真の、おちゃめなマイシャの鼻を突っつきながら話し掛けても、胸がえぐられるような日々。
今は、「ありがとう」よりも、「マイシャ、ごめんね」が出てしまいます。
もう一度生まれ変わって、お母さんのところへおいで。待ってるからね・・・
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2007.10.15
マイシャの様子がおかしいと気が付いたのは、一昨日の土曜の午後、整形外科から帰って、しばらくした頃でした。
たまたま見ていた時に、トイレを済ませたばかりのお団子のてっぺんが、少しだけ赤茶色になっていたのです。
そのお団子をビニール袋に入れ、近々行こうと思っていたミミの予防接種の時に、診てもらうつもりでした。
そのうち、夕方頃から白い泡を吐くよになり、よたよたと歩きながら吐いて、落ち着くと横になります。
熱はないものの、いつもの元気がありません。
これは先延ばしに出来ないと思い、翌朝、ネットで探した動物病院へ、次男と一緒に連れて行きました。(いつもお世話になっているT動物病院は日曜休診なので)
血液検査とレントゲンの結果、病名は脂肪肝(太り過ぎの猫に多い)で、黄疸と脱水症状がひどいとのこと。
点滴を打ってもらえば元気になるだろうと思っていた私は、いつ死んでもおかしくない状態だと言われて、ほんとにショックでした。
即刻入院。チューブで強制的に栄養を与え、1~2週間様子をみて、肝機能が回復しなければ、開腹手術も必要とか。
ほんの2.3日前まで、いつもの、おねだりマイシャだと思っていたのに、だるいとか、苦しいとか、食欲が無いといったサインに気が付かずに、五十肩で大騒ぎしていた飼い主です。
マイシャよりも太っているロンもいることですし、病気の根源でもある食事・・・高齢メンテナンス用ですが、大皿に盛って、いつでもどうぞ、という与え方を変えなけれなと、反省しています。
2007.10.16
マイシャを入院させるなら、ぜひともT動物病院でと、実は検査結果を待つ間、先生に連絡を取りました。
近くの病院よりも、隣町の病院へと思ったのは、動物たちに愛情を持って接っする先生やスタッフを、信頼していたからです。
あいにく東京へ出かけているとのことで、帰宅されてからの連絡待ちでしたが、ほどなく出た、危険な状態との検査結果に選択の余地などなく、そのまま入院となりました。
夜遅く、帰宅された先生から連絡があり、経過を報告をしました。
治療としては、適切な栄養・カロリー補給と維持治療法が主体になる。
昨日の午後、ミミの予防接種でT動物病院へ伺った際、肝リピドーシスのページをプリントして下さいましたが、
症状によっては、回復が非常に難しい病気とのこと。
翌朝なんて言ってないで、おかしいと思った夕方の時点で、連れて行くべきでした。
昨日はマイシャにも面会しました。チューブを通して直接胃に高カロリー補給を受け、じっとうずくまっているマイシャは、
環境が変わって目が点になっているものの、一昨日の目ではなく、黄疸も可視粘膜には見られませんでした。
吐いてはいないので、あとはマイシャがどれくらい頑張れるか・・・なんだそうです。ひとまずは、ほっ。
2007.10.16
元気を取り戻すかに見えたマイシャが、危篤状態でした。
延命治療だと思っていなかった私は、医師の言葉端から感じるものがあり、退院を申し出ました。 担当の医師も、ホッとした様子でした。
ですが、看取るならば家でと思ったものの、どうしても諦めきれず、退院の手続きの間に、T動物病院に相談しました。
私からの連絡で駆けつけた息子に運転を任せ、マイシャを抱きながらの道中、マイシャに声を掛け続けると、そのうち鳴いたので、意識がと喜んでいたら、痙攣が起きました。
もう、気が動転して、静かになったときは、息をひきとったのかと思い、泣き叫ぶ私。
しばらくして、腕の中でかすかに動く気配で、我に返りました。
待ち受けてくださった先生の診断も、危ない状態とのことです。
先の病院での治療で、チューブを通して直接胃に高カロリー補給は、心臓への負担が大きい麻酔が打てなかったそうで、腕からの点滴だけ。
栄養源は、上あごに張り付いた缶詰だったようで、吐きもしなければ、食べてもいなかったのでした。
混沌とした意識のマイシャに、呼びかけ続けると、時折反応しました。今夜は、集中治療で診てくださるとのこと。
本当は、ずーっと傍に付いていたいし、マイシャにとって、家に帰るのがいいのかどうか迷うところですが、藁をもすがる思いで、お任せしませた。
明日の朝、一番に出向きますが、長い夜になりそうです。
2007.10.18
みなさまへ
マイシャへの、あたたかい励ましに、とても嬉しく、また勇気付けられました。心よりお礼を申し上げます。
作朝、マイシャが旅立ちました。
sekiさんの「里親募集」が縁で、横浜から我が家にやってきたのが8年前の、まだ生後2ヶ月の頃。
最年長の三毛猫ロンのおっぱいをくわえながら眠り、可愛い鳴き声に、もうメロメロの私たち家族に溺愛された、箱入り娘でした。
初めて迎えたのお正月の訪問客でパニックになってから、すっかり人見知りの猫になり、
大人になってからは、他の猫たちと一線を引く“群れない猫”のマイシャでしたが、実は一番の甘えん坊さん。
毎朝、私が身支度を始めころになると、じっと見上げながら、鳴いて甘えるのが日課でした。
夏以外の日中は、掛け布団とベッドカバーの間に潜り込んで寝る子で、「マイシャ!」って呼ぶと、潜ったまま尻尾で返事をし、
それがまた愛しくて、ベッドカバーの上から抱きしめ返しました。
お風呂と爪を切るのが大嫌いで、爪は 1.2本きるのがやっと。3本も切れたら上出来です。
食事も動作もおっとりしていて、ほとんど寝ているタイプでしたので、ぷくぷくと太ってしまい、それがまた可愛いと思っていたら、
取り返しのつかない病の引き金になってしまいました。
そして、こんなにも早く逝ってしまうと思ってなかったものですから、かけがえの無い家族を失って、息子も私も、ただただ涙。
昨日は、ロン、チビ、HANA、ミミとともに、マイシャとお別れをし、今日はお見送りをします。
2007.10.19
急遽入った完成現場の撮影準備中にかかった矢先に、マイシャの旅立ちを迎えましたが、昨日の午前中は、セッティングと撮影に立ち会いました。
泣き腫らした目をさらすのもと、サングラスを掛けっぱなしでしたが、仕事に集中している間は涙もお休みで、気が紛れました。
横たわったままでも、傍にいて欲しいと思ったマイシャですけれど、出勤前、息子とともに、たくさんの花を供えて、旅立ちの支度をしました。
そして午後4時、マイシャは風になりました。
時々、堰を切ったように涙が溢れるけれど、夜遅くに駆けつけた長男とともに、在りし日のマイシャを偲びました。
マイシャとの縁結びの、sekiさんが、
「猫町・犬町」で、追悼文を書いてくださいました。
また、みなさまからも、たくさんのやさしいお言葉と励ましをいただいて、とても癒されました。ありがとうございます。
2007.10.19
カフェ・アコーディアナの古くからのお客さまが、マイシャのことで、声を掛けてくださいました。
やはり愛猫を亡くされたそうです。
だから、今の辛い気持がよくわかりますとの励ましと、存在の大きさに、あらためて気付かされたというお話に頷きながら、
哀しみが、また少し癒され、ホロリとしました。ありがとうございます。
信頼している、T動物病院、こと豊川動物病院のことを少し。
初めて保護した三毛猫ロンと、その一年後にばったり出会ってしまったチビは、近くの病院へ連れて行きました。
3人いるドクターのうち、ロンは「お父さん」のような優しいドクターで、「三毛の配色がきれいだねぇ」と誉めてくださいましたが、二度目の時もおっしゃったので、
「この子が欲しい」って言うんじゃないかと、ちょっぴり警戒しました。
チビは、「お母さん」的な女医さんです。でも、尿道結石で連れて行ったときは、3人目のニヒルなドクターに当たってしまって、手荒な治療に、チビも私も悲鳴をあげました。
そのまた2年後のマイシャは、横浜のsekiさんに拾われた後、動物病院で手厚く育てられ、離乳してから我が家に来て半年後に、避妊手術をしました。
その頃は豊川勤務だったので、休憩時間や帰宅ついでに寄れる利便性を考えて、豊川動物病院へお願いしました。
3年前の、仕事で移動中に拾ったHANAも、、ダンボールに入れたまま置いていき、1週間後の沖縄の旅から帰るまで、預かっていただきました。
そして昨年、作業場に居ついたミミも、ケガの手当てと予防接種で、お世話になりました。
HANAもミミも、避妊手術をしたので、かれこれ7.8回ほど通いましたが、番号札制の頃は、とにかく待ち時間が長いのを覚悟して出かけたものです。
というのは、きっと時計を持ち合わせていないのではと思うほどに、とことん集中して目の前の患者を診察する先生で、
ときには友だちのように、時には小父さんのように接してくださるし、てきぱきとサポートする看護婦さんたちも然りですから、患者とその家族は、安心していられるのです。
今回のマイシャのときも、夜遅くの電話に、アドバイスと診察をも引き受けていただいたりで、感謝に尽きました。
病んでいるとき、人も生き物も、その家族も、手当てと共に、メンタルサポートが必要なのだと、あらためて思いました。
午後から、冷たい雨になりました。こんな日は堪えますが、書いているうちに、元気が出てきました。
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