入居して14年になる集合住宅は、密集地ながらも前庭にゆとりがあって、低木のツツジと常緑樹、広葉樹の欅などが植栽され、
緑豊かな環境に満足していました。 華奢だった欅も年々幹がしっかりして、放射状に伸ばした枝ぶりは美しく、
そよぐ緑の枝葉は野鳥たちの憩いの場であり、道を隔てた二階家とのスダレ的な役目も担ってくれていました。
また、暑い季節には日差しを和らげて清涼感を、美しい紅葉の秋や枝が主役になる冬など、
四季折々の姿をダイニングキッチンから楽しみ、小鳥たちのプレゼントのねじり花や名も知らぬ野草を愛で、スモールガーデンを自慢に思っていましたし、
美しい景観が、街の、住民の心の財産だと思っていました。
ところが昨秋の朝、いつものようにキッチンのブラインドを開けた私はびっくり仰天。なんと丸坊主になってしまった欅が目に飛び込んできたのです。
「枯葉が落ちる前に」とバッサリ切られ、まるで腕をもがれたかのような痛々しい姿の欅に、悲しみと怒り、取り返しのつかない悔しさに涙してしまいました。
いろんな価値観の集まりの集合住宅には、芝生でさえも雑草とともに“緑、一本たりとも許すまじ”とばかり、刈り取ってしまいたい人もいるのです。『緑化推進』を誇る我が街の市政も、
そんな一部の強い要望には勝てなかったのでしょうか。とても残念です。
山の樹木や街路樹が、いっせいに緑の葉を広げ始めました。14年の成長をたやすく止められてしまった欅たちも、なお逞しく枝葉が繁ってくれるのを願いつつ、今日も日課のように窓の外を眺めています。
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