TALK-TALK タイトル  
フードオアシス アツミ セミナー

「食の伝統と食材を知る」
 (2011.10.4)



陸前高田より 八木澤商店

「醤油製造業のシェアは、大手5社+準大手社が85%を占め、その他の小さな製造業が1,400社。 日本において、創業200年以上の会社は 3800数社あり、世界でも抜きん出て第一位。第二位はドイツの約1000社、第三位はイギリスの約500社。 なぜ日本に、創業200年以上の会社が多いのか・・・」
という問いかけから始まったアツミセミナー(10/4 開催)の講師は、陸前高田から来訪の 八木澤商店社長・河野通洋氏です。

3.11の東北大震災による津波で、会社もご自宅も流されてしまったが、通洋氏が老舗の八木澤商店専務に就任した時も、水害で甚大な被害が出たころだったそうです。
高校卒業の後、アメリカで4年学び、帰国して数年後、20代の若さで会社再建に挑む。
机上の理論に基づいた経営方針を推し進める中で、社員さんたちとの葛藤の連続。
経営者勉強会での出会いを通して、放漫な経営者であったことの気付きと反省、社員とともに成長していく経由に、映画「降りてゆく生き方」に通ずるものを感じました。

そこへ、3.11の東北大地震と津波です。
実は、毎年社員とともに地域の避難訓練に参加してたそうです。
怪我人が出たことを想定して、担架を作り、高台の諏訪神社へ向かって避難訓練する様子を見て、笑う人もいたとか。
その地区指定の避難所は、神社の下手前にあったが、笑われようとも、少しでも高い所へと向かい、今回の津波でも神社へ避難した。
水かさが増して、夜には、さらに高いところへ避難した人もいて、地区指定の避難所は水に浸かったんだそうです。
幸いにも幼稚園や小中学校の子ども達の犠牲は免れ、避難所で不安な夜を過ごしながら声を掛け合う住民たち。
翌日、水が引いた地域を見て廻り、被害の甚大さに唖然とするも、流された会社の看板を、遠くの家の社員が見つけ、届けてくれたことが嬉しかった。
人生の師と仰ぐ先人の筆による大切な看板だったこともだが、それにも増して社員が届けてくれたことが、とても嬉しかったという。

ほどなく仲間達からの救援物資が届き、その物資の受け入れと保管場として、地域住民のコミュニティとしての基地を自動車教習所に置く。
行政の動きを受身で待つのでなく、住民自らの行動で、それぞれの役割を果たし、必要とあらば国へも足を運び、中小企業救済にも尽力を尽くす。
会社はもとより、社員や地域の人とともに、助け合い支え合いながら、アイデアを出し、機転を利かせながら復興再建へと活動するお話は、息をつくもの忘れるほどでした。
こと、10年という期限限定の会社 「なつかしい未来創造株式会社」 の構想に、いたく感銘を受け、他の被災地のみならず、 将来の被災地になるかもしれない日本中に知らせたいと思いました。
そして、「なぜ日本に、創業200年以上の会社が多いのか・・・」の答えは、ここにあったと確信しました。
全てを失ったとき、気付きのあるところにサムシング・グレートが降りてくる・・・とも。

この10年構想が実現する頃には、町のリーダーとして、さらなる活躍をされるのかもしれない通洋氏は、 震災後に創業204年の八木澤商店9代目を継がれたそうです。
いろんな所からくる講演等の依頼を断り、復興再建へと取り組まれている最中でありながら、 母と仰ぐ 「食の学校」 の校長・塩川恭子氏のお達しで、今回のセミナー講師としていらっしゃっとか。
セミナーに先立ての7月、思うところあって、アツミフーズの社長さん等は陸前高田まで足を運んだそうです。
「食の学校」の講師は、どなたも素晴らしく、ほんものをつくり、伝統の技術を守り貫く日本人気質を、誇りにさえ思います。
その、いつもの「食の学校」とは違う希望とエネルギーに満ちたセミナーに、只々感謝。


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2010.12.07 「丈夫卵」 食の伝統と食材を知る
2010.07.07 雑貨「自然の恵」 
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2007.07.02 「味噌と心太」 
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2007.03.06 「テストと解答」 
2007.01.16 「塩干と雑穀」 
2006.11.07 「パンと油」 
2006.09.05 「納豆と塩」 
2006.07.02 「豆腐と酢」